大阪高等裁判所 昭和42年(う)3号 判決 1967年4月19日
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、被告人両名の弁護人井関安治作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
論旨は原判決の事実誤認を主張し、被告人両名は無罪であると主張するのである。よつて記録を精査し原判決挙示の証拠を検討して案ずるに、
第一、所論は原判示の和解調書による債務は、昭和三〇年一一月二六日の本件明渡強制執行当時、未だ完全には消滅しておらず被告人秋山圭の富士商事株式会社に対する債務は尚三四四、五八七円残存しており、従つて右和解調書は失効していなかつたというが、富士商事株式会社の代表取締役であつた証人木山宗男二は原審公判廷において「二八年八月二九日作成の和解調書は債権確保の方法として作成したもので、右調書作成の際にはこれに表示してある貸金三〇〇万円は未だ貸与しておらず実際に金を貸したのは調書作成后であり、貸与した元金は約二五〇万円であつて、右元金は同年一二月三日に近畿相互銀行野田支店発行の同額の保証小切手により返済を受け、また右元金に対する利息二六一、六二五円は同月四日に被告人圭主宰の国土建設株式会社振出名義の同額の小切手により支払を受けたから、右和解調書に表示された貸金は元利共に返済ずみである。この外に富士商事から秋山圭に対する三五万円位の貸金がありその内一〇万円の返済を受け約二五万円の残債権があるが、これは右の和解調書とは無関係のものである。昭和二八年一二月一〇日付秋山圭振出名義富士商事宛ての額面二〇〇万円の約束手形が作成されているが、これは実際に金員の貸借があつたものではなく、右和解調書の貸金がまだ残存しているように擬装工作するための資料に過ぎない」旨供述し、被告人両名も捜査段階でほぼこれに照応する自供をしており、右各供述を裏付ける証第二号、第三号、第四号、第六号、等とも対照すれば、右木山証言及び被告人両名の自供は充分にその信用性が認められ、右認定にてい触する証人荒川伊市、及び被告人両名の原審公判廷での各供述は措信できない。従つて本件強制執行当時その債務名義として利用された前記和解調書の効力は既に消滅に帰していたことは明らかである。
第二、所論は被告人圭の金沢平翰に対する債務は、金沢が代物弁済を登記原因とする本件不動産の所有権移転登記をした当時は、全額弁済を完了して残存しておらなかつたのに、金沢が圭から予め交付を受けておいた白紙委任状及び印鑑証明書を不当に使用して登記したものであるから、右登記は違法無効のもので本件不動産は強制執行当時金沢の所有に属するものでなく、被告人圭が所有していたものであるというが、金沢平翰の子である証人金尚淑の原審公判廷における供述によれば、右代物弁済の基本となつた債務金二百五十万円については昭和二九年一二月七日大阪地方裁判所において金沢平翰と被告人圭との間に裁判上の和解が成立して圭は右債務を承認したものであり、その弁済期日は同年同月二二日とし金沢方に持参して支払うこと並びにもし昭和三〇年三月末日に至るも右金二百五十万円及び所定の遅延損害金の支払を履行しないときは本件不動産の所有権移転登記手続をしなければならない旨を定められたものであるが、右期日(昭和二九年一二月二二日)に至るも被告人圭は右債務金二百五十万円の支払をせず、その後同三〇年三月末日に至るも右和解調書に基く金二百五十万円の現実の提供をせずその支払義務を履行しなかつたため金沢は仮登記の際被告人圭から交付を受けていた本登記のための委任状や印鑑証明等必要書類を使用して所有権移転の本登記をしたことが認められる。そして右裁判上の和解成立の事実は、被告人圭も検察官に対する供述において認めているところであつて、同被告人は検察官に対し、右金二百五十万円を弁済するため富士商事株式会社から融資を受けて通知預金をし金沢に対し弁済の交渉をしたと供述しているが、和解調書の約旨に従う弁済の提供があつたものとは認めがたい。従つて被告人圭の金沢に対する債務が既に弁済され金沢の本件不動産の所有権取得が無効であるとする論旨は失当であるといわなければならない。
第三、所論は金沢平翰の本件家屋の明渡強制執行の当時、右家屋は被告人圭が管理していたのでなく、坂下宇八が居住占有していたものであるから、被告人圭を執行債務者とする右強制執行は違法であり、かつ執行后も右家屋内には坂下の占有する什器その他多数の動産が残存しており右強制執行は完了せず、引続き坂下が占有管理していたもので、本件不動産は金沢の占有に帰するに至らなかつたものである、というのが、証人金尚淑、執行吏代理として右強制執行の執行行為を行つた証人京屋新一の各証言を綜合すると、右執行行為は昭和三〇年五月九日午前一〇時頃着手され家屋内にあつた被告人圭占有管理に係る物件はすべて搬出され、同日午前中に執行終了して右不動産は執行終了して右不動産は執行債権者金沢平翰に完全に引渡されたことが明らかである。右五月九日に先立つ同年四月二三日にも京屋は執行のため現場に臨んだが、その際森本亀太郎が京屋に対し右家屋内で自分が営業していると主張したので、京屋は慎重を期するため執行を中止し引揚げたところ、執行債権者の側から森本の主張は虚偽であるから執行してほしいとの申入があり、京屋は五月九日執行のため現場に赴いたところ、森本は四月二三日の自己の申述は虚偽であつたことを認めその旨の弁明書を京屋の面前で書いたので、京屋は右家屋は森本の占有に係るものではなく執行債務者秋山圭の占有するものであると判断して執行したこと及び坂下宇八が京屋に対し自己の占有を主張するようなことはなかつた事実が右証拠により認められる。坂下宇八なる人物は被告人圭の妻である被告人小まつの兄であつて、森本亀太郎は昭和二八年頃から被告人圭が本件家屋で経営していたキヤバレー「どんばる」の営業名義人となつていたもので、昭和三一年これをアルサロ「ひとみ」と改称した後は坂下がその営業名義人となつていたが、何れも名義を貸していただけで、森本や坂下は真実の営業主ではなく、被告人圭が本件家屋を占有していたものであることは、同被告人の検察官に対する捜査段階での供述により容易に推認しうるところである。右強制執行当時坂下宇八が本件家屋内に居住していたとしても、そのことは被告人圭の占有補助者としての意味しか持たないものであつて、坂下が本件家屋につき独立の占有を有していたものとは考えられない。従つて被告人圭を執行債務者とする債務名義に基き執行吏は坂下の居住状態をも排除しうるものと解しうるし、前記京屋が右家屋内の物品をすべて搬出したことは前説示のとおりであるから、本件不動産が金沢の占有に帰するに至らなかつたとする所論もまた失当である。
第四、所論は、仮りに本件明渡執行当時金沢平翰が本件不動産を所有しかつ占有していて被告人圭が富士商事株式会社と共同して本件不動産に対し明渡執行をしたとしても、不動産の占有はその所有権又は賃借権の登記によつて為すものであつて、たとえ不動産を不法に占拠するも不動産に対する領得罪は成立しないから、本件を刑法上の詐欺罪と認定することはできない、というのである。
よつて案ずるに詐欺の目的物が不動産の場合、法律上の支配の移転(所有権移転登記)又は事実上の占有の移転のいずれかの一方が為されたときに財物の交付があつたものと認めるを相当とし、弁護人主張の如く必ず所有権又は賃借権等の権利登記によつて法律上の支配の移転が為されることを要するものでない。本件においては、裁判所書記官補、執行吏を欺罔して無効の債務名義を利用し既に他人の所有占有に帰している家屋に明渡の強制執行を為さしめ、共犯者の一人の主宰する会社にその事実上の占有を移転させたものであるから所有権移転等の登記をしてなくても詐欺罪が成立する。論旨は理由がない。
第五、所論は、本件強制執行は富士商事株式会社がその債権確保の必要から債務者である被告人秋山圭に対して為したもので、被告人両名の関知しないところである、というが、被告人両名が右会社取締役荒川伊市等と通謀して同会社をして本件強制執行を執行吏に委任せしめたことは、原審証人木山宗男二、帯谷喬一郎の各証言、荒川伊市の検察官に対する各供述調書、被告人両名の検察官に対する各供述により明らかであり、右認定にてい触する証拠は措信できない。
よつて本件各控訴は理由がないから刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。